ペニーローファーの発祥とされるG.H. Bassが作ったローファー「Weejuns(ウィージャンズ)」1 の初めての広告が、1936年5月27日にNew York Herald Tribune紙に掲載されたことに由来する。
以下、Weejuns誕生の経緯を掲載したThe Lewiston Daily Sun紙 1951年3月10日の記事2 の要約。
アメリカの男性誌のEsquire誌はヨーロッパで見られた新しいタイプの履物、ローファーを「Weejuns(ウィージャンズ)」と名付けて紹介し、人気を博した。これはノルウェー語とインディアンの言葉の組み合わせが語源とされる。Esquire誌の宣伝により需要が生まれ、1935/36年までには南部の高級リゾート地でも見られるようになった。
元々はノルウェーの農民が履いていた靴であったが、おしゃれなヨーロッパ人の目に留まった。ニューヨークのRogers Peet社はEsquire誌と提携してアメリカで生産することになり、モカシンで有名なG.H. Bass社に製造を依頼した。当初は懐疑的だったBass社も、Esquire誌の発行人の強い要望と「Weejuns」の商標権の付与を受けて製造に合意した。
革の調達に苦労した後、1936年5月27日、Rogers Peet社はNew York Herald Tribune紙にWeejunsの最初の広告を掲載した。「パームビーチで最初に目撃!Rogers Peetで最初に登場!初回出荷分は完売!」というキャッチコピーとともに、Weejunsの写真と、フロリダで履いている男性の小さな写真3枚が掲載された。広告では、Weejunsは「G.H. Bass社製『Sportocasins』のメーカー製」であり、「元々はノルウェーの農民が履いていたもので、現在はアメリカで最もおしゃれな男性の一部がスポーツシューズとして履いている。とてもカジュアルでスマートで、フィット感も抜群」と説明された。価格は6.50ドル(1951年時点の約14ドルに相当)で、クラブ、ビーチ、農場、庭、家の周りなど、様々なカジュアルな場面で履ける靴として宣伝された。
Esquire誌はWeejunsを「1936年の目新しい靴」としてさらに宣伝し、パームビーチの著名人による採用と、ロンドンの店で販売されていたノルウェーの職人による製品に起源を遡った。快適さと多様性を強調した。
その後のEsquire誌の記事や広告キャンペーン、特にBass社のスキーブーツとの連携がWeejunsの人気をさらに高めた。女性向けのバージョンも導入され、たちまち人気となった。1951年までにBass社は1日に1,200足の靴を生産しており、その約40%が男女向けのWeejunsであったことから、このスタイルが長く愛されていることが分かる。